情けない

お久しにござる。

例のごとくサボりぐせがたたってしまい申し訳無い。

 

今日は先日起こった少し悲しい、そして情けない話について書こうと思う。

ただ、正直に書くとOUTな面もあるので多少オブラートに包ませていただく。

自分が所属している部は昨年度から入庁1〜3年目までの若手職員が部長の発案で研修を受けることが出来る。

昨年はマツダスタジアム内部を見学し、今年度は建設中の高速道路の現場視察を行なった。

と言うのは建前でその後の飲み会が主たる目的なのは言うまでもない(大体上の人間が女の子飲みたいってだけなのだが。。)

全員が集まる一次会は終わり、二次会の最中の時だった。

会計が終わり、上役の一人が「3年目は◯円、2年目は◯円、1年目は◯円払うように」と言った直後「◯◯(部の女の子)は体で払え!」ともちろん冗談ではあるが発言してしまったのだ。

場は一瞬沈黙したが、すかさずその女の子が「もー◯◯さん!そんなこと言ったらメモにとっておきますよー!」とこれまた冗談交じりに返していた。

まずこの発言にショックを受けたのだが、それ以上に「ダメですよ部長、冗談でもそう言うことを言ってはいけないと思います」と諫めることが出来なかった自分自身が本当に情けなかった。

常日頃から「義が〜誠が〜」と口にしている癖にだ。それはやはりうわべったらだったのだ、自分自身に失望した。

そして情けないことにその後LINEで「辛かったと思うけど、本当に気にしなくていいからね💦辛い時は辛いって良いんよ」と送ることくらいしか出来なかったのだ。

 

彼女が言うにはそういった発言は日常茶飯事みたいだ。

そして辛いといったところでうちの課に味方はおらんよ、と。

こういうのって確かになあなあになる部分ってあるよね。

でもそれが当たり前のようになるのは絶対に間違っていると思う。

そして、そういった発言が日常茶飯事にも関わらず毎日前を向いて生きている彼女は本当に心の強い女性だと感じた。

何か力になれないか、そう思っても何もできないもどかしさ。

まあいい方向になればまたここで報告させてもらうでござるよ。

 

P.S.そんな彼女に僕は恋してしまったとさ。

 

今思い返すとその2

こういうのは先伸ばすと3ヶ月とかすぐ過ぎちまうからな。

さて、最後の1人は香川直毅君。

彼とは同じ高校で、サークルの初顔合わせの時に再会した。

お互い同じ大学の同じサークルに入るなんて思ってもなくて、驚いたのを覚えている。

彼ともよく飯を食いに行った。そしてカープを見に行ったり、いろんなところに出かけた。

そもそも彼を誘って公務員講座に入ろうとしていた。最初は前向きに考えていたようだが、やがて「単位が足りてないから講座は断念する」ことなってしまった。

ただ香川君とはゼミや講座の間にやり取りをすることは多少あった。

しかし大学4年の夏、進路が決まりかけたことから彼からの連絡は少なくなり、また誘っても何かと理由をつけられ断られることが多くなった。

聞くところによれば、彼は卒論を執筆するのに必要な単位が足りず留年することが確定していたみたいだ。だから、人と会うこと自体に嫌気がさしていたそうだ。

そんなことも知らずに彼には申し訳ないことをしたなんて思いながら、これまた卒業の1週間前に彼に連絡を取ってみた。

すると、彼は誘いに快く応じてくれた。

あまり絡みことが少なくなった大学3年以降の話を中心にどんな日々を過ごしていたか。

思うところを話せたと思う。

これまでなら、前の2人に比べいい方向で話が進んだと思われるだろう。

しかしこれには続きがある。

というのも卒業式から5ヶ月後、山口に遊びに来た際に泊めてくれる予定だった後輩に不手際があり、その後輩の家に泊めてもらうことができなくなってしまった。

それでダメ元で香川君に一宿のお願いをしたら快諾してくれた。

その時に社会人になってからの苦労話などで盛り上がったもんだ。

しかしながら、2018年3月19日現在。これが彼との最後のやり取りとなっている。

というのも、その後すぐに彼の連絡先が全て消えてしまい、連絡が取れなくなってしまったのだ。LINEからも消え、アドレスも変更され、携帯番号は聞いていない。

それが自分だけなら単に嫌われているだけで済むんだが、彼と中学時代からの知り合いでえるH君によれば、彼自身も連絡を取れない状況らしい。

彼によれば、1年程前にH君の故郷である山口に帰省した際、たまたま偶然香川君と遭遇したとのことだ。

話をまとめる。

・少なくとも2017年1月にはまだ山口にいた

・出会ったのはイオンモール防府のセリア。彼はそこでバイトしてたらしい

くらいだ。

恐らく2017年3月に大学を卒業し、もう山口にはいないと思われる。広島に戻っているかどうかはわからない。

彼が今どこで何をしているのか、調査を続行する。

 

ここまで2日に渡り、主に大学時代に関わりのあった3人について述べてきた。

彼のことが何故印象に残っているかというと、そもそも大学時代友達もできず、1人でいることが多かった自分にとって彼ら3人は数少ない友人と言える存在で、割と深い関わりがあったと言える。

そんな自分と関わりが比較的深かった人たちと連絡が取れないとか、遠慮して話ができなくなるというのは正直悲しい。

だから特に香川君とは松永君の2人にはいつかゆっくり膝を交えて話がしたいのだ。

それがいつになるのか、はたまた永遠にこないのか。

もしそんな日が来たらならば、その時のことをここで報告しよう。

さらばだ

今思い返すと

自分が疫病神なんじゃないかって思うことがある。

元々友達は少ない方で、お世辞にも社交的とは言えない部分はある。

それ故か付き合う人間がパターン化するのだ。

大学時代印象的に残ってる3人がいる。

1人は前にも触れた今amwayに洗脳されてる後輩。研究室が一緒で大学3年からの付き合い。本当に一緒にいることが多かった。

まあ彼に関してはこの辺りにしておいて。

 

先ず印象に残っているのが松永充貴君。(どうせ本人がこの文章を見ることなんて絶対にないだろうから敢えて実名でいかせてもらう)

彼に関しての基本情報

・名古屋出身

名古屋グランパスのファン

・イケメン

くらいかな〜

彼とは大学の学科が同じで、1年の最初のセミナーかなんかで会話したのが最初だった気がする。どっちから声をかけたなんかはもう覚えてない。

彼との付き合いは大学一年の4月から10月までのたった半年間。そう、大学は院に進まず順当単位を取り卒論を提出すれば4年で卒業できる。

大学4年間を大河ドラマ(1年間。大体48話〜50話)に例えると、6話くらいの付き合いになる。

6話と言えば龍馬伝福山雅治主演)で言うと、吉田松陰と龍馬が話をする回で、新選組香取慎吾)なら近藤勇土方歳三と、ヒュースケンが偶然出会うという回だ。

大河ドラマを見たことがない人に説明するならば、物語の序盤の序盤で今後のドラマ展開に全く意味をなさない部分なのだ。

吉田松陰もヒュースケンもそれぞれ龍馬伝新選組でたった1話しか出てこない、そのくらいの期間付き合いだった。

彼は週の4〜5日うちに泊まりに来ていた。暇さえあれば飯を食いに行ったり、出かけていた。

確か一年の夏休みに広島で合流し、遊んだ記憶もある。

そんな彼と大学一年の後期から卒業までなぜ疎遠になってしまったのか。あれは大学一年の後期に受けていた地理学の講義が原因だったと思う。

どこの大学も似たようなもんだと思うが、一年の間は共通科目を受講するのが一般的。その頃ピ逃げなるものが流行っていた。ピ逃げ(ピー逃げ)とは講義前に学生証を読み込ませて講義に形式上出席にした上で、講義が始まる前に教室を抜け出すことを言う。

彼はその講義の前に「俺ピ逃げするから」と俺に言い残し教室から去った。

しかし、運の悪いことに教授がピ逃げをしている学生がいるかチェックを始めたのだ。

その教授は「ピ逃げをした者は例え今後の講義に全部出て、どんなに良いレポートを書いても単位出さない」宣言した。

これは当然のことだろう。そのことを彼に伝えたのだが、彼は意に介さなかった。

そして、レポート提出時に教授にピ逃げ

のことで問い詰められ大勢の前で大目玉を食らってしまったのだ。

するとその日以降一年後期の講義に来なくなってしまったと言う。それと同時に俺の前からも姿を消してしまった。

その日以降彼から連絡が来ることはなかったし、こちらから連絡することはなかった。

思えば、それ以前に俺は彼に利用されているのでないかと思うことが度々あったのだ。

とは言えあの時なんで連絡を取ってやらなかったのかと思うことがなかったわけではない。

ただ大学2年以降、ゼミに入り公務員講座をやってたから、彼のことを考える機会がなくなった。

時々別の授業で一緒になることやキャンパス内ですれ違うこともあり、その時は声をかけることもあったが、一緒に飯を食う、家に泊まると言ったことはなくなった。

それと彼と同じコースに進んだ友人によれば、講義の最初の方は出席しても後半には姿を見せなくなるパターンを繰り返していたそうだ。

そんなこんなで時は過ぎ2016年3月。卒業式の2週間前に思い切ってLINEした。「もう卒業するし、積もる話もあるから久しぶり飯でも食わないか」

すると「今名古屋にいて、卒業式の時もまだ帰る予定はない」と言った返事だった。

あれほど一緒にいたのに、あっけない話だ。

そんな松永充貴君のその後。

友人の供述、本人のTwitterから判断すると

・俺から遅れること1年後に卒業

・今は就職して岐阜にいること

は確実みたいだ。

今もLINEの連絡先は残ってるから今何をしているのか、聞こうと思えばいつでも聞ける。しかし、いざ聞こうと思ってもはばかってしまう自分がいるのだ。

ただいつか、彼に連絡を取り飯を食いながら俺の知らないところでどんな大学生活を送っていたかのか。ゆっくり聞いてみたい。

もしその日が訪れた時にこのブログを続けていたならば。その時の詳細を綴ってみようと思う。

今夜はこの辺りでさいなら。

次回はもう1人の話しをしようかな

 

刑事モノのドラマ

とかでバディってあるじゃん?

公務員にも、ペアで行う仕事とかあるわけよ。

今自分の業務は、性質上二人一組で行う必要のある業務で(そんなに難しいことはないんだけど、一人だと量が多いかなって感じ)、主事の自分には主査がペアが付いてる。名前は藤井さん。

この藤井さんとは昨年の11月くらいからペアを組み始めて1年が経つ。

藤井さんはうちの親父と同学年だったり、お兄さんが自分と同じに団地に住んでたりと何かと縁のある方だ。

この藤井さん、電話に出る時に「もしもし〇〇区〇〇課の藤井ですゥ〜。アッ、アッ、」みたいな若干挙動不審な感じが特徴だ。

私が言える立場でもないが、コピーした資料の原本を置きっぱなしにしたり、書類の管理が苦手みたいで、直属上司である課長補佐からは「野村君、藤井さんを頼む」なんて言われるほどだ。

しかし、藤井さんとペアを組み始めてから精神的にもかなり落ち着いて仕事に取り組むことが出来て、人間関係においてのストレスが皆無になった。

正直、早く異動したくてたまらないが、藤井さんとペアなら残ってもいいかなって思えてる。その点、藤井さんと上司の課長補佐には感謝してもしきれない。

しかし藤井さんとはもうすぐお別れをしなくてはならない。

と言うのも、藤井さんはうちの親父と同学年。つまり、来年の3月で定年退職を迎えるのだ。

気は早いが、既に藤井さんの送別会を画策しているところだ。来年3月の金曜日、店を貸し切って15人〜20人ほどで行う予定。

しかし困ったことがある。この藤井さん、物静かで自己主張をすることが皆無と言って良い。

まだ送別会を行うなんてことは藤井さんに言ってないので、「欲しいもの何ですか?苦手な食事とかあります?」なんて聞いてるが、「えっあっあっ、と、特にないよ💧」みたいな感じで全くプランが立たない。

これが藤井さんの良さでもあるのだが、どうしたらいいものか。

誰か良い案があれば教えて欲しい

 

このブログは1日に書き始めたにも関わらず、下書き更新などを重ねていくうちに、とうとう一週間が経ってしまった。

私としたことが、切腹だな。バイバイ。

負けた

無論カープのことだ。

悔しい、この一言に尽きる。

CSに対する議論が過熱するのはまあわかる。

これに関してはまた今度しよう。

 

カープの敗退によって、困ったことが少々。まず、今週の土曜。女性を誘ってスポーツバーに行く約束をした。もちろん、日本シリーズを見るために。

福岡であるし、どっちみち現地には行けないということでせめて良い雰囲気でと思ったんだ。

ところがどっこい、カープの敗退によって2人でスポーツバーに行く意義というものがなくなってしまった。

うーむ、「お洒落なバーで雰囲気を味わう会」とでも題しておこうか。

 

それとその女性とは来月のファン感謝デー並びに優勝パレードを見に行く約束もした。これだけ見るとただのリア充(?)アピールと捉える者もいるだろう。

しかし、考えておくんなさい。優勝しました→でもCS負けて日シリ行けませんでした→でも優勝したんでパレードします

こんなお粗末な流れがあるだろうか、いやない

 

私のような男を誘ってくれる、なんて心の広いことよ!これ以上私を好きにさせないでくれ。

昨日から書いてましたが、疲れたんでこの辺で。満足した?侍よ。

P.S.近藤弘樹投手、楽天1位おめでとう!

出世

したいって思う?皆さん

 

私は某区役所に勤めているのだが(区役所採用ってのはなくて、あくまで市採用)、公務員と言う身分上役職が細かく規定されているのだ。ざっくり言えば、主事(今の私の役職)→主査(係長級)→主幹(課長補佐級)→課長補佐(係長を兼ねる場合有り)→課長→部長(局次長)→局・区長(これが公務員が付くことの出来る最上位)

市長は選挙で選ばれ、副市長は市長の指名により決定されるのだ。

ちなみに私は行けるなら局長まで行ってみたい。なんでかって?そりゃあ近藤勇だってそう呼ばれるだろ?

幹部会とかで、「局長、ご決断を!」なんて言われてみたいじゃんか。

と言うのは話半分に聞いてもらいのだが、昨今若者の出世欲と言うのが希薄になっていると聞く。それはそれで良いじゃないかと思う。仕事はそこそこに家族との時間を大切にする。寧ろ現代日本で推奨されるべきだ。

ただ、なんと言うか歴史好きの性なのか漢たるもの、名を上げたいと言った功名心があるのも事実。

自分がどこまで上へ行けるかなんて、誰にもわからないが一つ言えることはどんな役職であろうとも目の前の仕事に全身全霊をかける。そのためには常に向上心を持ち、人との折衝も学んでいく必要がある。

そのように地道に積み重ねて行けば誰かが見てくれる、そんな気がするのだ。所詮出世するかしないかなんて結果論だ。

 

そんなこんなで今日はここまでまた気が向いたら更新するわよ。バイバイ